アメリカ友人との交流
開業当初頃の同期(US・カリフォルニア在住)清水氏からの励ましなど
メールや掲示板を通じて友人から励ましの言葉を頂いたり、近況報告など交流をおこなっています。一部をご紹介いたします。
2014年~
清水さんから電話がありました。
2014年3月10日 元気なお声で近日来日されると電話がありました。
2012年~
From: Takeshi Hagiwara
To: 'Toshihide Shimizu''
Sent: 2012/03/30
100万$の笑顔とはジョークでもうれしいお言葉です。
100万$の笑顔とはジョークでもうれしいお言葉です。
→2次会のときに清水君と反対側で最も離れた席だったので、近況を話されたときに十分には聞き取れなかったのですが確か、難しい手術をされたアメリカの高額な医療費の質問に「98万ドル」とのお話でした。桁が難しいですが本物の100万$の笑顔となられ、当方も取り巻きの仲間と共に喜びました。
○その内に選挙に立候補されませんか?当選確実です。
→年齢的にもう少し若い方のご支援はできそうです。
○埼玉県にも美味しいうどん屋はあるでしょうね!
→変わったところでは、日本で一番川幅があることから”幅広うどん”
埼玉県の鴻巣市と吉見町の間を流れる”荒川”の川幅(堤防と堤防の幅)の長さが、なんと日本一とのこと。
私たちが名古屋で食べた「きしめん」と比べて食べたら面白いかも!
From:'Toshihide Shimizu''
To: 萩原 武 様
Sent: 2012/03/24(土) 13:25
口2つ耳1つ
萩原 様
先日は関係の掲示板に当方の写真を載せていただいて有難うございました。
100万$の笑顔とはジョークでもうれしいお言葉です。いつも笑顔で頑張ります。
萩原君も貫禄が出られ知識ある仕事をされていることがお顔に出ています。男の顔は50歳以上になれば自分の責任だそうですがまさにその通りです。
その内に選挙に立候補されませんか?当選確実です。最近は口2つ耳1つの人が多くなっていますが。僕は耳2つ口1つです。ようするに人のことは聞かず大風呂敷の人のことです。
ところで萩原君は毎日お忙しいようですね!ADR研修中だそうですがいろいろ時代が変わると勉強もしなければないようですね!アメリカは法の先進国ですのでまだまだ日本はアメリカから学ぶことが沢山あると思います。
僕は勉強は必要ないですがパソコン、携帯も段々新しくなり使いこなすにはこの年になれば時間がかかります。僕は毎日10,000歩歩くことにしてますが、今使っている万歩計が不正確のため今回日本でカシオの腕時計万歩計を買いましたがセツトするのに難しくまだ出来ません。これだけではありませんテレビも多機能でまだ全部は出来ません。
逆に子供が速いです。(中略)孫は子供よりかわいいです。別居してますので会えるのは盆と正月だけです。
ところで話は変わりますが僕はうどんが大好きです。今回山口で丸亀の釜上げうどん(写真)を食べましたが大変美味しかったです。埼玉県にも美味しいうどん屋はあるでしょうね!突然に話が変わり失礼しました。
ではこれで お体を大事にしてお仕事にお励みください。 清水
明治記念館 2012.3.10 (会の途中駈け込んでこられた)
From: Takeshi Hagiwara
To: 'Toshihide Shimizu'
2012/03/23 0:50
RE: 謝恩会、2次会
100万$の笑顔の清水さん、再会、貴重な時間を持てました。
そして天国から舞い戻ったような貴君の活力、ご努力に改めて敬意を表します。
今般は多くの写真を添付いただきありがとうございました。
記
○萩原君と会ったのは7年ぶりですかね?
→2006年4月8日(土)・9日(日)ホテルガーデンパレスに集い奇声を上げたりしましたから、6年かとおもいましたが、当日清水君は欠席でした。いまは解体された「ガーデンパレス熊谷」1999年4月3(土)・4(日)日でしたから13年になりました。今年、’12年9月の奈良での再会はできるのでしょうか?
メールで年賀状を送受信していたので、近い存在でした。
○記憶は忘れますが写真があればその時の雰囲気も思い出します。
→良い思い出になります。
○萩原君は行政書士になられ貫禄が違います。定年のないお仕事で羨ましいです。
→お恥ずかしいくらいですが、確かに定年のない仕事であり、年齢的に年金世代なので、あくせくせずにすみそうです。
現在はADR研修中です。
(ADRは、Alternative Dispute Resolution の略称。また、「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律」では「裁判外紛争解決手続」と規定→アメリカから来た手法を日本的にしたもの)
以上 萩原 武
From: Toshihide Shimizu
To: 萩原 武 様
Wednesday, March 21, 2012 12:48 PM
謝恩会、2次会
萩原 様
謝恩会、2次会もあっと言う間でしたね!萩原君と会ったのは7年ぶりですかね?萩原君は行政書士になられ貫禄が違います。定年のないお仕事で羨ましいです。僕は62歳でリタイヤーしました。肝硬変で仕事が出来ませんでした。
一昨年の10月に肝臓移植しまして今のところ何とか生きています。移植しても容態が悪く2ヶ月も入院していました。普通は2週間で退院できるのですが僕の場合、移植前に体が衰弱してましたので医師が家内に移植しても10%の生存しか望めないと言われたそうです。
術後1ヶ月昏睡状態でもう無理とのことでしたが突然意識が戻りそれからすこしずつ回復し始め食事も少しずつ食べられるになり現在に至ったわけです。本当に奇跡のようだと医師が言ったそうです。人間の生命は分らないものですね!今回は生徒隊皆様にお会いすることが出来て夢のようでした。おそらくこの度の謝恩会は最初で最後になるでしょう。神様がこの会に行けるようしてくれたのでしょう。
本当に皆様に会えてよかったです。人生の思い出になりました。 ところで写真をお送りします。
記憶は忘れますが写真があればその時の雰囲気も思い出します。
どうぞお元気でお仕事にお励み下さい。
ではさようなら 清水俊英
2007年頃~
From: Shimizu
To: 'takeshi hagiwara'
Sent: Saturday, January 06, 2007 1:28 PM
ご返事有難うございました
Subject: ご返事有難うございました。
長いことご無沙汰しました。最後にお会いしてから早5年になりますね!老人は他人のことと思っておりましたが、自分がその年になりました。テレビスターを一時見なかったら別人のように変化してます。先月中学の同窓会に行きましたが(45年ぶり)まったく判別できませんでした。 メールによれば行政書士となっていましたが、行政書士とはどのようなお仕事ですか?日本に長く居なかったので分りません。
老後は生活は保障されてますね!年金も全額受給と合わせれば左うちわですね!
今年から団塊世代が社会に出ますが、退職金も総額で天文学的数字になるようです。
そのお金が何に行くかです。第2のバブルにならないといいですが人間は欲がありますので分らないです。話が長くなりますので、また次回に回します。
2007年のご家族一同様のご健康をお祈りいたします。
萩原武様 清水
昨年岩淵君と大石君が当方の家に来た時の写真を添付します。
清水様&関係各位
投稿者:萩原 投稿日: 1月25日(木)10時16分53秒
写真見せていただきました
清水様
写真見せていただきました。よく撮れていました。人間機会あるごとに出かけることだと思います。チャンスを逃すと、遠征できずじまいになってしまいます。
行政書士とはどのようなお仕事ですか?日本に長く居なかったので分りません。とのことでしたが、
→行政書士は範囲が広くて自分の得意な分野を掲げることになります。そこで私は『相続手続き 遺言書作成 成年後見等ご相談下さい』という看板を掲げることにしたところです。メールで名刺を添付させていただきます(省略)。長くなりますが清水様&関係各位として、当方の現況を含めて投稿させて頂きますのでご了承願います。 (同期関係への投稿)
From: Shimizu
To: 'takeshi hagiwara'
2007年1月26日 13:38萩原 武 様
メール有難うございました
メールの返事が遅くなりすみませんでした。新しいお仕事(行政書士)の内訳分りました。相続、遺言作成はアメリカでは財産のある家庭ではほとんどが遺言書作成をやっております。とくに不動産、預金、有価証券は遺言書の無い場合いは本人死亡後州政府に没収されます。子供がいても遺言書が無いと同じです。おそらく日本もだんだんそうなると思います。萩原君のお仕事は大変お忙しくなられると思います。ところで話は変わりますが、現代は変化が激しいですね!雪印、不二家と日本を代表する食品会社が不正なことをやってました。大手の建設会社の談合、一級建築士の改ざん等毎日が新しい問題が発生してます。
インターネットの普及で内部告発が容易に出来るようになりますます拍車がかかって来ているようです。日本は世界一の老人国になるのも時間の問題です。老人問題も〈年金、医療保険、認知症、老人犯罪)これから大きな社会問題になると思います。これからの10年過ぎるのはアッと言う間です。当方の兄が1昨年、癌で亡くなりましたが、まだ66歳でした。健康には自信がありましたが、分らないものです。色々問題ばかり書きましたが、元気な時に旅行をすることだと思います。当方、今年は北海道から四国を回ることを考えております。長くなりましたが、今日はこれにて失礼します。ではまた
萩原 様 清水
清水様&関係各位 (清水氏よりメール)
投稿者:萩原 投稿日: 1月30日(火)07時51分49秒
アメリカでは
「アメリカでは財産のある家庭ではほとんどが遺言書作成をやっております。とくに不動産、預金、有価証券は遺言書の無い場合は本人死亡後州政府に没収されます。子供がいても遺言書が無いと同じです。おそらく日本もだんだんそうなると思います。萩原君のお仕事は大変お忙しくなられると思います。」との由。住む社会が違うとそんなことになるものかと、耳新しい話です。併せて励まされたものです。
他にも彼の鋭い観点から、日本的問題点、現状把握をされていましたが省略させていただきます。
清水様&関係各位 (おわり)
投稿者:萩原 投稿日: 1月30日(火)07時54分49秒
自己紹介文(昨年夏)の一部を紹介
長くなりましたがこの際、地区同業への自己紹介文(昨年夏)の一部を紹介させていただきます。
「産業団体(、非鉄金属鉱業・製錬業界)での、財団法人を兼務しての事務局員を卒業。会社と官庁の間で業界団体の業務を担当、対応して来た。
舞台は回り、此の度ADR(裁判外紛争解決)、成年後見制度、 (新)会社法、外国人の増加等の動向に鑑み、世界のリーダー国として更には世界一の長寿国となった国のかつての団体業務とオーバーラップして見たとき、行政書士の一員となって、広範な視野から新戦術を編み出し活躍する姿を、暑き地・直実節が聞えて来るここ武蔵野、大里熊谷支部から発信したいものであります。」
萩 原 武
熊谷についてご紹介しています
熊谷桜
『幻の「熊谷桜」を熊谷市の桜ファンクラブのメンバーが、市内の桜の名所の一つである航空自衛隊熊谷基地に植樹。
10年前と3年前に接木し、高さ1メートルほどに育った木を3本植えた』との記事{朝日新聞H19.2.5、北埼玉版(写真はカラー)}。記事が少なかったのかこれより少し前、2月1日の同北埼玉版にも同様の記事が出ていた(写真は白黒)。熊谷桜は高さ3~4メートルまでしか成長しないそうです。
ともかく熊谷桜は名称が良いのは勿論、早咲き、小さな花は可憐で木が大きくならない等の特長があるのが良い。私も4年前と3年前に同クラブ主催の接木講習会に出席したことがありました。各自3本づつ実践。先生、関係者の説明によると最初は3分の1の確率で良い方とのこと。
私のところでは、3年前に複数出席したこともあり、相応についた。鉢だと夏の水くれが大変で、我が家では昨年3本植木鉢から坪庭に移植した。(但し、土の盛りも薄いし間隔も近いので、それ程成長しなそう。)
植え替え前に2~3花がつき外科手術成功。失敗した分は、台木が大島桜なので、花はキレイでも大きくなり過ぎると思う。
「クマガイザクラ」名に縁あり、皆さんも機会があったらいずれ熊谷桜を1本お探しになるのも面白いと思います。熊谷桜は鉢植えでも良く、地植えと半々の選択で、家庭向きかも!代えて、轍?の一つに同期の桜、熊谷桜が全国各地で開花することとなるかも知れません!
ところで、熊谷市の花はサクラ、木はケヤキ、鳥はヒバリです。先の合併に伴うこの件の応募で、私のは、3つとも現行どおり採用されました。 (同様の提案をした人は、まれにはいたのかも知れません。特に花はサクラで良かったと思います。)
さて、2月13日には熊谷市へ江南町も合併になり、20万都市となります。
今般芥川賞受賞の青山七恵氏は今では熊谷市出身(旧妻沼)。我々も行軍で、妻沼・利根川河川敷で野営テントを張り、夜中には大雨で苦労したこともあったと思う。芥川賞23歳での受賞とか!そう云えば1月に長い投稿をさせていただいた関係からも余談ですが、曽野綾子氏も若くして芥川賞候補になり文壇デビューと氏の著書「晩年の美学を求めて」の末尾を見返したら記してありました。と云うのも曽野綾子氏と約30人の生徒との教場での対談やF86D、F104Jの前での懇談を撮った写真が、当時の週刊サンケイ(1964年5月25日号)に掲載されていた。
小牧では、生徒区隊長が小説は理想の社会なので、2~3読めば推測というか応用で済む。的なことを話されたのを聞いたせいか、当方は小説は読まずじまいで、他の書物へ向かってしまった感があるのは否めないかも知れません。朝礼後生徒区隊長的な立場で、交互に5分間スピーチをさせられたことがあったが、そのために自分でタイトルを決め調べたり、スピーチ後質問を受け応答したりし、楽しい時代もあった。
昨今、熊谷・我が家でも紅梅が、満開となっています。今回も長くなりました。すっかり熊谷人となったものです。
熊谷からの、近況終わり
満開の熊谷桜
熊谷桜が満開となりました。小ぶりな八重桜です
お客様からのH22年賀状(礼状)!
H21年クリスマスに相続業務が完了したお客様から、期せずして達筆な年賀状を頂戴いたしました。
清水さん、友人のみなさんいつもありがとうございます。
萩原 武